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無色の翼、鳥は何処に向かうのか?
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第四夜 絶望と覚醒
2011-12-03-Sat  CATEGORY: 小説:メアのゆりかご
・Prologue
・第一夜 白夜の世界
・第二夜 異世界の現実
・第三夜 届かない想い



メアのゆりかご
第四夜 絶望と覚醒



それは悲しい覚醒だった。
誰よりも守りたかった者を眼前で失い、ようやく目覚めた異能の力。
実乃里の亡骸を抱き締めて、慟哭の涙を流しながら、近衛君は自らの覚醒を呪った。

何故、もう少し早く目覚めてくれなかったのか、と。
何故、愛する人を守るために目覚めてくれなかったのか、と。

近衛君の中で幾つもの何故が繰り返されるが、おそらくどれにも答えを出せずにいるだろう。彼の中に溢れているのは、ただ愛する人を失った悲しみと、それを奪った者に対する憎悪だけだろう。
私の位置から近衛君の表情は窺い知れない。しかし、近衛君から発せられる漆黒の霧はまるで今の彼自身の感情を如実に表しているようだった。

腐食の闇。

近衛君の能力を形容するなら、多分この言葉が相応しい。
彼の全身から噴き出す黒い霧は、それに触れる全てを瞬時に腐らせて死滅させた。まさに死を孕む猛毒の霧。この霧は瞬く間に実乃里を貫く槍を腐敗させて断ち切った。

しかし、近衛君は自ら覚醒した力がために、実乃里に直接触れることが出来なかった。

触れる全てを腐敗させる能力。

その能力によって愛する人の亡骸を傷付けてしまうことを恐れた。
だから、賢明にも実乃里に触れる寸前でその手を止め、代わりに愛する人の命を奪った許しがたい仇敵を睨み付けた。


「殺してやる……。お前だけは絶対に殺してやる、武曽……」


憎悪と怨嗟に塗れた近衛君の声に私は心底恐怖した。
これまでの優しかった彼を知っていただけに、近衛君の変容を信じられなかった。


近衛君の視線の先には、黒焦げになったはずの武曽が何事もなかったかのように悠然と佇んでいた。不敵に微笑む武曽の傷跡は完全に消えていた。それどころから彼が着ている背広にさえ何の痕もなかった。

更に武曽の背後には、黒い影が何体も湧き上がっていた。状況は実乃里が死ぬ前と何も変わっていなかった。
それでも、近衛君の表情からは一切の恐怖が消えていた。ただ、愛する人を奪った者に対する憎悪に表情を歪ませていた。

「覚醒者になって随分と勇ましくなったな、近衛。だが、君達がどれだけ力を付けようと無駄なことなのだよ。君達は所詮、贄に過ぎない。いくら足掻いても結果は同じだ」

「黙れッ!! これ以上、お前の声なんて聞きたくないッ!!」

近衛君が右手を突き出すと、黒い霧が激流ように武曽達に襲い掛かった。
腐食の闇の進行を阻めるモノなど存在しない。あらゆる物質を腐敗させながら、憎き敵を目指していく。

一方、武曽は闇の奔流の前に一切動じることもなく、近衛君と同じように右手を突き出した。すると、白い障壁が黒の激流の前に立ちはだかった。

激しく衝突する白と黒。
腐食の闇はひたすらに白い障壁を溶かしていくが、白き壁は溶かすそばから再生していき、決して武曽には届かなかった。

「くそッ!! だったら……」

力押しでは駄目だと悟った近衛君は、激流を霧散させて側面から武曽に攻撃を仕掛けようとした。
しかし、黒い闇の勢いが衰えた瞬間、白い障壁が近衛君を押し潰そうと迫ってきた。
黒い闇が腐食させるスピードより、白い壁が再生するスピードが上回ったのだ。

近衛君は霧散化させた闇を一点に集め、白い障壁を破壊することに集中した。そうしなければ負けると悟ったのだ。しかし、一度押し切られた勢いを止めるのは難しい。近衛君の闇が徐々に白い壁に押し退けられていった。

「近衛君、逃げてッ!!」
「駄目だ!! 僕の後ろには実乃里がいるんだ、絶対に退けない!!」

実乃里の亡骸を捨ててはいけない、という彼の気持ちはわかる。あの腐れ眼鏡は、死体であってもその尊厳を穢すことを躊躇わない。あんな奴の前に実乃里の亡骸を置いていけば、どんな非道な仕打ちを受けるかわからない。

しかし、ここで彼が死んでしまえば、実乃里の死自体も無意味なものになる。
ここで彼を死なせたら私はあの世で親友になんて謝ればいいのかわからない。

立ち上がれ、と強く自分自身に命じる。精神的ショックで腰が抜けた場合、それは実際に肉体的な損傷を負ったということではない。一時的に神経がパニックを起こしているだけに過ぎない。だから、立てるはずだ。

床を思い切り殴って気合を入れる。そして、一気に足腰に力を入れて立ち上がった。
まだフラフラするが、動けないより百倍はマシだった。

「近衛君、実乃里のことは私に任せて!」
「く、国崎! 大丈夫なの?」

「私だって、いつまでも寝てられないわよ! 大丈夫、あんな奴なんかには実乃里の髪の毛一本だってあげられない! 私がどこか安全な場所まで運ぶよ!」

私は近衛君の元まで駆け寄ると、側に倒れていた実乃里にそっと手を伸ばした。

まだ温かい。でも、それを人としての温もりとするなら随分と冷たくなっていた。そして、その温もりは刻一刻と失われていた。
死に顔こそ安らかだったが、身体は合計八ヶ所の無残な傷跡があった。身体を持ち上げると、その不自然な穴が歪む感触が伝わり、言いようのしれない不快感に苛まれた。

「国崎、僕一人なら大丈夫。だから、実乃里を……」

武曽相手に一人で戦うのは無謀と思えるが、私がいたとしても足手纏い以外の何にもならない。せめて実乃里さえ連れて行けば、彼一人で逃げられるかもしれない。

「うん、わかってる。奴等になんか指一本だって触らせないから」

「……ありがとう、国崎。ここは僕に任せて行ってくれ。必ず君の元まで追い付くから。大丈夫、無理に戦ったりしない。今はまだ……」

少し意外だったが、近衛君が冷静でいてくれることは正直助かった。

「必ずまた会おう。そして、一緒に元の世界に帰ろう」
「あぁ、約束だ」

私達だけでも生き残って、必ず元の世界に戻る。
私達がいるべき世界は、こんな血塗れの場所ではない。どんなことがあっても絶対に、あの優しい日常が続く世界へ帰ってみせる。

……ッ!?

今、一瞬だけおかしなノイズが走った。
平穏が続くはずの私の世界。私が帰るべき世界。
それが何故かとても暗く淀んでいて、濃厚な死の臭いに満ちていた。

……私はこの光景を知っている。これは私の記憶だ。しかし、情報があまりに断片過ぎて何が起こっているのかわからなかった。とても狭く暗い場所に押し潰されようとしている光景だったが、このことに関する記憶が上手く思い出せなかった。

「……国崎、実乃里を頼む」
「あっ……、うん!」

頭を振って、今脳裏を過ぎったおぞましい光景を振り払った。
今は実乃里が安らかに眠れる場所を目指して走らなければいけない。
だけど、果たしてこの白く淀んだ世界の中にそんな安らぎを与えてくれる場所などあるのだろうか。脳裏に過ぎる不安もまた頭を振るって消し去る。

今は走るだけだ。
そう、いつものように。
ただ風と共に走り続けることは私にとって一番の喜びだった。

だから、今はただ走れるだけで充分だった。何も考える必要はない。今はあの黒い影達の届かない場所へと駆け抜ければいいだけだ。










実乃里を抱えて闇雲に走った。
冷たくなった亡骸を抱えて走るのは非常に体力を使う。実乃里は女性として小柄な部類に入るが、それでも動かなくなった遺体は女の子が運ぶには重いものだった。

陸上部で鍛えていたつもりだったが、校舎を出る頃には随分と息が上がっていた。どこに向かうかは決めていなかったが、あの血塗れの光景ばかりが焼き付いた校舎の中にはいられなかった。

私は呼吸を整えて、周囲を確認した。ひとまず黒い影の姿はどこにも見えなかった。思わず校舎を出てしまったが、外はあまりに見晴らしがよ過ぎた。少し慎重に行動した方がいいと思い、私は誰にも見つからないように周囲を警戒しながら歩くことにした。

「……はは、どうしよう? ねぇ、実乃里?」

声を掛けても返事がないことはわかっていたが、それでも返事を期待せずにはいられなかった。どこかで実乃里の死を認めたくないからか、それとも孤独に耐えかねていたからか。多分その両方だろう。

いずれにしても、実乃里からの返事などなかった。

亡骸は何も語らない。それを再認識しても、やはり私は実乃里に声を掛け続けた。もう返事を期待している訳ではなかったが、寂しさには耐えられそうになかった。

「心配しなくても、近衛君ならきっと大丈夫だよ」

校舎沿いを歩きながら、そう語り掛けた。
武曽の恐ろしさは充分に思い知らされていたから、とても安心できるはずもないのだが、それでもまた会えると信じていた。

約束したからだ。一緒に元の世界に戻る、と。

だから、それまでは何があっても絶対に死なない。死んでやるものか。石に噛り付いても絶対に生き残ってやる。そして、必ず元の世界に戻るのだ。

「ひとまず近衛君と合流するまで隠れていようか。あっ、でも、ここってケータイ通じるのかな? ……あぁ~、何か駄目な気がする。駄目だよね? 電波とかなさそうだし。っていうか、他のグループがどこを拠点にしているかとか聞いておけばよかった。そこに逃げ込めば、何とかなったかもしれないのに。うわ~、私、馬鹿だ……。近衛君より私達の方がピンチじゃない? ねぇ?」

呼びかけに答える声はなくても私は話し続けた。
話しながら歩くことは注意力を散漫にさせるし、声で黒い影に感づかれる可能性もあった。だけど、何かを話していないと発狂しそうだった。

私は無力だ。未だに何の力も目覚めていない。

この世界には人間を殺す黒い影がいて、覚醒者さえ殺す武曽もいる。そんな化け物だらけの世界で私は抵抗する力を何も持っていない。もし、万一敵に遭遇したなら確実に殺される。いや、殺されるだけならまだマシだろう。人間としての尊厳を全て踏み躙られ、徹底的に嬲られて殺される。

一歩前に進むたびに心臓が破裂しそうなのだ。
一歩足を踏み出すたびに黒い影が現れないかと怯えているのだ。

目の前で親友を無残に殺されて、今は親友の亡骸を運んでいる。まさに死が隣にいる状況で正気を失わずにいられるのは奇跡だった。

「……どうしよう? どうすればいいと思う? ……ここからなるべく近くて、誰にも見つからない場所……」

視線を彷徨わせた先には第三体育倉庫が見えた。
前述したが、霞ヶ原高校はマンモス校だ。当然のことながら、その人数に応じて施設の規模や数も増えていく。外に設置されている体育倉庫は四つ、後は体育館内に一つ、校舎に一つあった。

第三体育倉庫は主に陸上関係の備品が仕舞われていた。陸上部でもよく使用していたので、私にとって馴染みのある場所だった。

「……あそこに隠れようか? どう、何か不満ある? ……まぁ、あるよね。暗いし、臭いし……」

私はしばし逡巡し、結局第三体育倉庫を目指すことにした。
このままいつ襲われるかわからない場所を徘徊するより、どこかで身を隠す方がいいと思ったからだ。無論、暗闇の中でじっと隠れ続ける恐怖もあるとわかっていたが、それでも今の恐怖に耐えられなかった。

何でもいい。とにかく少しでも落ち着ける場所に行きたかった。
第三体育倉庫はどこの学校にでもありそうな特筆する点がないものだった。陸上トラックに一番近い場所にあるが、校舎とグラウンドの隙間に置かれていて目立たない。日中はほとんど施錠されておらず、今も鍵は開いている状態だった。

実乃里を片手で抱えたまま、重厚な体育倉庫の扉を片手で開ける。使用頻度が高い倉庫なので手入れもされていて、扉はほとんど音を立てず簡単に開いた。

扉を開けると深い暗闇が広がっていた。

クチャ……、クチャ……。
倉庫から聞こえるその音により、私はハズレを引いてしまったことを自覚した。

暗闇の向こうがはっきりと見える訳ではなかった。ただ、そのシルエットと音だけでも充分察せられた。これは生肉を咀嚼する音だ。あれは二人分の人間が……見ようによっては抱き合っているようにも見える。
扉が開いたことに気付いた黒い影が振り返った。血肉で汚れた黒い顔が私達の方を向いた。そして、新しい獲物を見つけたことを喜ぶように、その不気味な口が三日月ように開いた。

「クカカカ……、美味ソウな獲物だ……」

ゆっくり立ち上がり、地面を滑るように這い回って私の元へ向かってきた。

どうやら彼等は地面を走るのではなく、地面に足をくっつけたままスケートのように滑って移動するらしい。最初に襲われた時の、ズズズ……という音の正体がわかった訳だが、だからと言って私にとって有益な情報にはならなかった。

「……は、はは……、やば……」

悲鳴を上げずに済んだことを褒めてほしい。
覚醒者でない私が黒い影と遭遇することは、すなわちゲームオーバーを意味する。

奴に捕まれば、あそこで物言わぬ肉塊となっている生徒と同じ末路を辿ることは明白であった。逃げ出しても無駄だということはすでに思い知っている。また、実乃里を抱えた状態では、そもそも逃げることさえまともに出来なかった。

それでも、恐怖した身体は勝手に走り出していた。

実乃里の亡骸を捨てれば、多分もっと早く逃げることが出来る。一瞬、その誘惑に駆られたが、私は絶対に実乃里を置いて逃げたりしない。
怖くて堪らないけど、実乃里の最期を目撃した者として、そんな無様な真似は出来なかった。あれだけ誇り高い死に様を見せられて、親友として負けたくないという意地があった。いや、そんな理由以前に、ただ友達として彼女を静かに眠らせてあげたかった。だから、絶対に実乃里を手放すことは出来なかった。

だけど、やっぱり怖い。

私は実乃里や近衛君みたいに戦う力なんてない。あんな化け物に狙われて正気でいられる自信なんてなかった。一歩走るたびに、実乃里を捨てて逃げろ、という誘惑が大きくなった。このままでは絶対に逃げきれない、こんな死体を捨てしまえ、と脳裏で繰り返されていた。

足が重い、身体が重い。一人ならもっと速く走れるはずだ。
だが、誘惑は断固として拒絶する。

「……ッ!?」

黒い影が不気味な音を立てて私の正面に回り込んだ。私は反射的に足を止め、別方向へ逃げようとしたが、気付いてしまう。
グラウンドには黒い汚泥が幾つも出来、それらは獲物である私を囲んでいた。

「……か、囲まれた」

「クカカカ……、麗しイ友情……。そレが人間カ? ヒャは? ソの女ノ死体ヲ捨てレバ、見逃しテやっテモいいゾ? ドウスル? クカカカ……、ドウスル?」

「なッ……!?」

死にたくない、どうしても助かりたい。
実乃里はすでに死んでいるのだから、ここで捨ておいてしまってもいいではないか。
グラッと心が揺れたことを自覚する。甘い誘惑に心が傾いたことを自覚する。そして、実乃里を掴む手が少しだけ緩んだことを自覚する。

涙が零れそうになった。
恐怖によるものではない。自分の浅ましさを恥じて、だ。

自分だけが助かればいいと一瞬でも思ったことが許せなかった。愛する人のために命を捨てた人の亡骸を身代わりにして助かろうとした自分が許せなかった。何よりも、人間を馬鹿にして心を踏み躙る黒い影達が許せなかった。

「……ふざけんなァァァッ!!」

怒りの咆哮を上げ、私は真っ直ぐと黒い影を睨み付けた。
私の力では一矢報いることさえ出来ないが、それでも何もしないで大人しく殺されるなんて絶対に嫌だった。

今、心の底から力が欲しいと願う。
この世界に存在する者に覚醒者となる資格があるなら今こそ目覚めてほしい。

負けず嫌いなのが私の性分だ。正直女の子らしくないかもしれないが、戦って死ねた方が本望だった。少なくても、こんな最低な化け物に人間の尊厳を奪われて殺されるよりは数段マシだろう。

力が欲しい。
どうしても力が欲しい。

けれど、どれだけ願っても私は無力のままだった。何の力も湧き上がらないし、覚醒者となれた感じなど欠片もしなかった。

「そレが答えカ……? クカカカ……。ナら、二人マトめて食ッてやロウ……」
「くっ……、クソ……。どうして力が目覚めてくれないの……」

職員室での戦いでもそうだった。
近衛君がどれだけ願っても能力に目覚めることはなく、実乃里が殺されて初めて覚醒者となった。彼はあんなにも願ったのに、全てを失った後でなければ覚醒しなかった。

覚醒者となるために何か条件があるのだろうか。
どうすればいいのか。私も目の前で大切な人を失えばいいのか。
しかし、実乃里は近衛君を失う前から覚醒者となっていた。ならば、目の前で大切な人を失わなくても覚醒者になれるはずだった。

実乃里の場合は黒い影に襲われた時、近衛君を守りたくて覚醒した。
実乃里と近衛君とで気持ちの強さが違うなんて考えられない。多分、もっと他の条件があるはずなのだ。
だが、それが全くわからなかった……。どうすれば力が得られるのだ?

「クカカカ……。さァ、ドウ遊ンでやロウか……? オ前はドンな声で泣クのか、楽シみだ……。クカカカ……」

黒い影がにじり寄るたびに奮い立った勇気が削り取られていく。
奇跡を信じても裏切られる。どれだけ願っても実乃里を守れなかった近衛君のように、私の求める奇跡もまた与えられないのか。

心が折れそうになる。
今すぐ先程の勇敢な言葉を撤回して惨めに命乞いをしろ、と生存本能が訴えていた。そんな死体を捨てて逃げ出してしまえ、と利己的な自分が囁きかけていた。

だけど、どうしてもそれだけは譲れなかった。

「きゃあああッ!!」

黒い影の腕がギュルルと音を立てながら伸び、鞭となって私の身体を痛打した。

最初に来たのは衝撃。実乃里の遺体と共に吹き飛ばされ、グラウンドに転がりながら全身に痛みが走った。ようやく勢いが止まって、私と実乃里はグラウンドの真ん中に転がった。

痛い……。
痛い痛い痛い……。
こんなに痛いのは初めてだった……。

まともに呼吸が出来ない。吐き気が込み上げてくる。目の前が真っ白になる。
私はうずくまったまま涙をボロボロ零して、すでに立ち上がる気力さえ失っていた。

漫画の中では数メートルも殴り飛ばされるなんて当たり前のようにあるが、実際にそれを体験するとは思わなかった。漫画のヒーローなら颯爽と立ち上がれるだろうが、私は起き上がることはおろか指一本動かせなかった。意識を失わなかったのが不思議なくらいの激痛だった。いや、むしろ激痛ゆえに意識を失うことさえ出来ないのかもしれない。

一瞬にして心が折れた。
こんな痛みをもう一度味わうくらいなら、どんなに惨めでも許しを請う方がマシだった。しかし、命乞いの言葉が喉まで登ってきても、全身を蝕む激痛がそれを言うことを許さなかった。

「クカカカ……」
「クカカカカカカ……」
「クカカカカカカカカカ……」

グラウンドに点在する汚泥の中から黒い影が這い出て、落ちたケーキに群がる蟻のように私に寄ってきた。目的は多分、蟻と同じ。美味しい獲物を我先にとバラバラグチャグチャに食い千切っていくことだろう。

……死にたくない。
嫌……、誰か助けて……。

ケーキのように貪られる自分の姿を想像して、死にたくない、と心の底から願った。だけど、願いも想いも無駄だということは思い知らされていた。

誰も助けてはくれない……。
私はこのまま殺されるのだ……。
もう嫌だ……。こんな訳のわからない世界に閉じ込められて、こんなにも痛くて怖い想いをして、そのうえで無残に殺されるなんて……。

助けて……。
誰か、助けて……。
お願いだから、私を助けてぇぇぇぇぇぇッ!!


『――……ならば、俺の名を呼べ』
「えっ……?」


それは、遥か遠くの記憶にある懐かしい声だった。
最初の数節を聞いただけで全てのメロディーを思い起こせるように、ただその声を聞いただけで私の記憶は花開くように蘇った。










その記憶の始まりは、私が小さな頃によく遊んでいた公園だった。
お祖母ちゃんが亡くなって、あの町を引っ越してしまったから、この公園を見るのは八年振りになるだろう。もう二度と訪れることがない想い出の場所だ。

ここには忘れられない想い出があった。八年経った今でも私の心の奥にあり続ける想い出。しかし、悲しい現実だが、どんな想い出も時と共に色褪せてしまう。あんなに大切だった想い出の場所なのに、今ではぼんやりとしか思い出せなかった。

この公園は、初恋の人と出会った場所だった。
出会ったのは一度きり、言葉を交わしたのはほんの僅か。
それでも、あの時に芽生えた想いだけはしっかりと覚えていた。

私が――――と出会ったのは、祖母を亡くして公園の遊具の中で泣いていた時だった。その遊具はクジラを模した大きな物で、突然雨が降った時やかくれんぼの時によく使っていた。その時は一人になりたくて、そのクジラの遊具の中で隠れて泣いていたのだ。
一体どれだけ泣いていたのだろう。子供の頃、しかも八年も前のことで私も正確には覚えていなかった。ただ、ずっと一人で泣き続けていた。

そして、泣き続けていた私を見つけ、声を掛けてくれたのが――――だった。

「……泣いてんじゃねぇよ」
「ふぇ……?」

少し乱暴でぶっきらぼうな声。朧気な記憶にあるとおりの――――の声だった。
最初は怖かった。いきなり怒ったような声でこんなことを言われたのだから。

しかも、顔を上げて見た――――はもっと怖かった。外国人みたいな真っ赤な髪をして、釣り上った目には優しさの欠片も見えなくて、偉そうに踏ん反り返っていた。

私は――――の登場に驚きのあまり、泣くのを止めていた。

「だ、誰……?」
「……それはお前が決めろ」

「ふぇぇ……?」

今思えば不思議なやり取りだった。
誰と聞いた本人に対して、それを決めろというのは意味不明だ。しかし、この時は何の疑問さえ覚えなかった。
ただ、それは私が決めるべきことなのだ、と自然に思えた。

「……じゃあ、貴方は――――」

だから、私は当たり前のようにそう告げていた。
――――もまた当然のように受け入れ、偉そうな顔で頷いていた。

「ふん、寝惚けた名だな。だが、まぁいいさ」
「な、なんか生意気……」

私は不満そうに――――を睨んでやったが、まるでどこ吹く風だ。
赤い髪をたなびかせた――――は、人の頭を遠慮なくぞんざいに撫でた。乱暴で少し痛かったが、それでも何故か優しい温もりを感じられた。

「小夜子、俺はお前を守るために生まれた」
「うん……」

――――の言葉はパズルピースのように自然と私の心に納まった。それが当たり前のことで疑問の余地もないことのように。
私を守るための騎士、それが――――なのだ、と。


「だから、呼べ。お前がまた涙する時は、俺の名を呼べ。必ず駆け付ける」

「うん!」


――――と出会い、交わした言葉はそれだけだった。
それは、想い出という大海の果てに沈んでいた記憶だった。長い時間という名の波に流され、忘れ去られていた私の淡い想いだった。
どうして今まで思い出すことが出来なかったのだろうか。

あの時交わした私達の約束を。

私が泣いていれば、どんな時だって駆け付けてくれる。――――の声が聞こえるということは、彼があの時の約束を果たしてくれるということだ。だから、私もその約束に応えるため、思いの丈を込めて――――の名を叫んだ。










「礼夢ッ!!」
「呼ぶのが遅ぇ!! 寝惚けてやがったのか、コラ!!」

鼓膜を揺らす怒声と共に現れたのは、懐かしい赤髪の少年だった。
吹き荒れる怒涛の風が礼夢の赤髪を激しく揺らし、怒髪天をつくという言葉を体現するかの如く荒々しく逆立っていた。
それにしても、相変わらず礼夢は赤い。目が醒めるような鮮やかな真紅の髪と瞳。服装に至るまで赤に彩られ、まるで朝焼けのような鮮烈な印象を受けた。

朝焼け……。礼夢はまさに白夜を終わらせる太陽だった。
ただ彼が現れただけで私の心を押し潰さんとしていた恐怖と絶望のプレッシャーは跡形もなく消え去ってしまった。不思議な安心感に包まれ、眼前に恐ろしい化け物がいることが不思議なくらい落ち着けた。ただ、礼夢がいるだけで。

「な、何者ダ……? 武曽ガ創り出しタこノ世界に侵入スルとは……? 貴様、マサカ夢幻の民カ……?」

「あんな慈善団体と俺を一緒にするんじゃねぇよ。悪夢が寝惚けんな。洒落にもなってねぇぞ、あァ!? つうか、黙ってろ、死に失せろ! 動くクソ溜まりの分際で人間の言葉を使ってんじゃねぇぞ、コラ!?」

が、ガラ悪……。
確かにあまり口のいい奴じゃなかったけど、ここまで酷かったのか。どこのチンピラなんだ、と突っ込みを入れたい。恰好とかも無駄に派手だし。

「クカカカ……。威勢ノイい小僧ダ……。ダガ、お前ニこれダケの数ト戦う力があルト言うノカ?」

私達の正面に立つ黒い影が両手を広げると、グラウンドに更なる汚泥が浮かび、百体以上の黒い影が現れた。
こんな数、相手が人間であっても勝てない。しかし、礼夢は全く揺らがない。恐怖に震えることもなく自信満々な表情だった。彼が揺らがないのなら、私もまた揺らぐことはなかった。

「……小夜子、俺が負けると思うか?」
「ううん、全然!」

「なら、俺が負ける道理などねぇな!」

勇ましく吠える礼夢は勢いよく両手を前に突き出した。すると、紅蓮の炎が彼の両手を包み、業火の中より灼熱色の二挺拳銃が現れた。

「さぁ、派手に暴れるぞ、黎明と黄昏の二挺拳銃(ガンズ・オブ・トワイライト)ッ!!」

黎明と黄昏の二挺拳銃が獲物を狙うように黒い影達に牙を剥けた。
銃口から放たれるのは鉛玉ではなく、火山から噴き出すような灼熱の炎弾。一発の銃弾が瞬く間に黒い影を蒸発させ、その直線状にいた全ての化け物を残らず駆逐した。更に続けざまに放たれる銃弾は、もはや私の眼では数え切れないほどの怒涛の数だった。

「小夜子を泣かした罪は軽くねぇぞ、コラッ!!」

礼夢は過剰ともいえる飽和攻撃を繰り返した。
灼熱の弾丸は黒い影だけではなく、大地までも焼き尽くしていった。慣れ親しんだグラウンドが火の海と化し、圧倒的な炎が支配する太陽の表層のようだった。あらゆる存在を焼き尽くす破壊の業火。
ただ、これだけの炎に包まれながらも、何故か私の元には一陣の熱風さえ訪れなかった。炎も熱波も全て私を避けていき、私に仇なす全てを焼滅させた。

「一生寝てろ、クソが」

礼夢が銃を納めると、グラウンドを焼き尽くしていた業火が一瞬にして消え去った。
炎が消えると焼け爛れて真っ黒になったグラウンドが姿を見せた。普段私が練習に使っている場所だっただけに、焦げた陸上トラックを見るのは少し心が痛んだ。





To be continued




あとがき

礼夢を出すのは次回にしようかと思ったんですが、
今回に入れてしまいました。

礼夢はある意味……、
メアのゆりかごのキャラの中で
一番可愛い奴ですwwww
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